傲慢と善良 婚活で過小評価される容姿
婚活では学生時代の恋愛と違い、よりシビアにさまざまな要素をみながら相手を選ばなくてはなりません。
- 収入
- 職業
- 性格
- 容姿
- 価値観
- 実家
一生に一度の選択とあって、容姿や雰囲気で勢いのまま決めることはできません。若い頃は決められたものが決められなくなる。それが婚活の難しさだと思います。
結婚で容姿を重視しないで社会的な条件、すなわち経済力や安定性で決めるのも選択としてはありだと思います。今逃せばもうこれ以上の相手はいないかもしれません。そう考えると妥協のように思われるかもしれません。わたしの周りでも容姿より社会的な条件をえらんで結婚した子もいます。
ただ、わたしたちは一生に一度の選択はこれまでに何度もしているはずです。高校受験、大学受験、就活など一生に一度の選択は初めてではありません。人によっては上京もライフステージの選択になるでしょう。
婚活をするときにピンとこない感覚はあります。自分につけられた価格が高すぎるのではないかという言葉が時々よぎります。しかし、それでもわたしは容姿がピンとこなければ相手の年収などの社会的な条件が良かったとしても選択はできません。
結婚には確かに家と家の関係という側面はあります。だからこそ、容姿だけでなく社会的な条件も大きな決め手になるのです。学生時代を振り返ると容姿は良いものの、経済的な面でうまくいくかわからない人と付き合った経験のある人も多いでしょう。もちろん、容姿だけでなく価値観や性格が深いところまであっていれば結婚までもあるのでしょうが、そこまでマッチした人はなかなかいません。
結果的に、若かったわたしたちの恋愛は容姿や雰囲気重視でその性格や将来像、ビジョンまで見つめた結婚までは行きません。結婚でも容姿を重視したいのに、容姿を決め手にした結婚を世間は賢い選択とみなしません。
辻村深月先生の傲慢と善良では、金居という名門大学出で、地元を離れずに生活でき経済力はあるものの、容姿や雰囲気がどうにもピンとこなくて野暮ったい男性が登場します。彼は親から紹介された結婚相談所を通じて知り合うのですが、親は素晴らしい人と高く評価します。結婚後も穏やかな生活が想像でき、経済力と実家を離れなくても済むのは何よりも喜ばれるものです。
しかし親は結婚相手に口を出すものの、実際に結婚をするのは主人公の真実で親ではありません。容姿がピンと来ないのに結婚すれば、これから本当に数えきれないほど顔を合わせることとなり、相手の見た目を好きになれないことを親はリアルな問題として実感できません。それどころか彼らは社会的な条件ばかりに目がくらみ盲目になってしまいます。
確かに結婚は長く相手と暮らすものなので、安定や社会的な条件が整った相手と結婚するのはいい選択の一つではありますが、本当にわたしは雰囲気がピンとこないというかせめて妥協できないと無理です。特に若いうちは色々二人の思い出を作ったりその後に子供もあるでしょう。
わたしは容姿が好きになれない相手との写真を見返したり、子供の顔を想像することができません。
学生時代の恋愛に比べ、婚活が長く苦しく感じるのは、また、良い相手がいないように感じるのは社会的な条件と容姿の両方を考えなくてはならないからです。TwitterというかXでは、婚活に苦戦する理由は若さがどうこうとか高望みがどうこうと言われていますが、相手の容姿を重視するのは当然のことだとわたしは考えています。
恋愛というのは結局のところ相手の容姿が合格点に達していないといけないのです。傲慢と善良で架が真実を選んだのも容姿が合格点にあるからです。
結婚も恋愛もまずは容姿が合格点や妥協点に達することが重要だと思います。